ハマらない話

好奇心が強いのでいろいろ試します。でも続きません。

一年ぶり3度目

一年前のブログをメールでお知らせされて、書きに来た。

続かないことを私は私に許しているので、そうかそうか。という気持ち。

もう自分に過度な期待をしない。自分を過度な期待と規範で縛っていた20代はいいことが少なかった。それでも生きてこられたのは幸運だった、あれは。

 

せっかくなので、また一年後の自分に向けていくつかのメモを残しておこうと思う。

2代目の遊び専用のスマホが欲しい。さくさく動くタブレットがほしい。パソコンはどうだろう、まだ使えているだろうか。今は起動に5分はかかりブルー画面が一瞬表示されるが使えている。なにが悪いのか良いのかわからないまま、使えるからいいかという判断をしている。

 

給与はあがっただろうか。額面に心細さを感じてきたところだ。転職条件と年収をもとにそれを満たす資格やら能力やらを身につけたいところだ。よく言われる言葉がちょっとずつ身に染みてきた。いい傾向である。

 

そうだ、将来の夢的なものをひとつ思いついたところなのでこれもメモしよう。将来を一緒に住む人を求めていこう。料理が上手で好きで得意で苦でなくて、一緒に食べることがここちよくできることを希望しよう。その状況をつくることを30年ぐらいかけて求めていこう。

これもある種の諦めがついたから他者に求めることができる事項である。私は料理が好きじゃない。技術を磨くことにも興味が無い。3日同じ食事でも食べてしまう。それは可能であるがすこしさみしい。料理が好きな人であれば食材から何をつくろうか考えられるのだろう。美味しい美味しくないがわかるのだろう。何味という区別がつくのだろう。そういう人に食事の支度を頼みたい。一人分増えても問題ないよと笑って言ってくれる人がいい。美味しい食事が毎日あるなんて幸せに間違いない。

 

そのためには家賃と食材と設備投資のお金は用意したい。これはいくらだろう。試算がいる。住むならやっぱり日本かな。母国語は便利で楽で、日本の安全さと安心さは基準が高い。水道水も飲めるし。